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課題山積、というほどでもないが 

 水曜日にまた夜中の三時半に言葉にならない叫び声を挙げて飛び起きたのだ。全く原因を覚えていないのは病巣が無意識に封じ込まれつつあるからかもしれないが、これが良いことかどうかは、わからない。そんなもんで健康といえるのかと尋ねられたが、自分としては日常生活に支障が出ない以上、はっきりとした疾患ではないと考える。軽い不養生か「東洋医学でいう未病」とでもいうべき状態で、養命酒でも飲んで寝ていればどうにかなる水準と判断する。
 もっとも、多読のたたりか脳裏からなかなか人間の時間に対する究極的な脆弱性が離れなくて(文学や人文世界では常に死を意識するのだから毎日注意を喚起されているような物だ)、死後の現在知る形での意識の不可能性とか、自己存在以後と以前の時空間の広がりの法外さとかにうんざりしながら、生涯で最も多感な青春期を過ごしている訳である。誠に健康な精神生活ではないか。ただ、より良い人生を送る方法を考慮する際には、他のあらゆる物事と同じくその時間の全スパンを見通すことが必要であり、つまりはその最後を、つまり死を射程内に置く他はないので、これは何にせよ不可避だと思って自分を慰めている。

 本郷は思いのほか季節ごとに色彩豊かで、今は銀杏が他の樹木とともに紅葉の盛りであるのが、まばらに雲を散らした青い空を背景にして映えている。あの工学部の大銀杏も、足下に子供をまつわらせながら、ここ何年かでずいぶん遅く来るようになったように感じられる秋を迎えている。
 まあ、そんな中で水曜日にkim氏と再会した。これで駒場文士に本郷で偶然出会うのは、二度目ということになる。彼のインド哲学科での友人のω氏と、中華料理で会食した。私は上海風の味付けらしい、豚の角煮を注文した。セット料理には焼売もサラダもつくのが、良い。味も期待以上であったし、会談も興味深いものであった、またお会いしたい物である。その後kim氏と世界の地域ごとに、全時代を通して最も優れた文学作品を選ぶはなしとか、世界文学の百冊とかそいういうことを。ただ一言、インテリぶるのはジャーゴンをまくしたてて破綻がなければ、それほど問題はない、質問されない限り。
 問題は、図書館で勉強しようとした時に起きた。全身が火照ってまるで目の前のことに手が付けられないのだ。無理矢理実験のデータを統計的に処理したが、その後はむちゃくちゃな眠気に襲われて気付いたら短針が三十度単位で進んでいた。やれやれ。その前日は前日で、風邪対策に飲んだアリナミンで全身が発熱して眠れなかったし。なんなのさ。話かわるが、図書館の利用者にもそれぞれの定位置みたいのがあるみたいね。

 文明の衝突の話。もしかしたらムハンマド風刺画問題と人民共和国で軽んぜられがちな著作権の問題は、価値観の相違などという生易しい問題なのではなく、西欧の重んずる表現の自由と複製厳禁へのそれぞれ重大な挑戦なのではないか。つまり、ヨーロッパ世界の論理に対するアンチテーゼの一環として理解されねばならないのではないか。

 どうもうまい具合に本が読めない時には、頭の中身をこうやって吐き出すことで良い気分転換になることがままあるが、これは頭の回転数が上がりすぎている時の対処法だ。下がりすぎてやる気のない時は、結局運動しかないのだろうね。で、なぜ頭がぎゅうぎゅう詰めになりかけているのかと言えば、もちろんトーマス・マンのせいだ。でも好き。だからドストエフスキーで起きたようなブームが、彼には起きてほしくはない。そう思うのはねじ曲がった独占欲の持ち主であるが、読書家にはそういうやつばっかりいるんじゃないかなあ。うええん、読みたい本が多すぎて限界だよおおお。

コメント

魔法の山

昨日はどうもどうも。本郷自体がサナトリウムだという気がしないでも??

角煮おいしそうだった。自分の炒飯はいまいちだったワン・・・。

>夜中の三時半に言葉にならない叫び声を挙げて飛び起き

東洋医学でもそんな病気は治せねぇな…イエローピーポー呼ぼうぜ

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