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文体について、春樹談義、トーマス・マン、本屋とサブカル、トリリンガル、三位一体(トリニティ)、へたれ兄貴、チベット、皆で唱え極楽へ行こうナンマイダ♪ 

 自分の文章の複文・重文の多さは、少しばかり悪文のにおいがして、異常ともいえなくもないが、まるで海外文学をぶっきっちょに翻訳した後のような味わいがあるし、思考の方法をそのまま転記するのには至って便利であるので、改める気はさらさらない。しかし、文章全体を通して読んだ時に、例えば係り結びだなどの文を通して完結していなければならない構造が、満足されていないことがままあるのが、いささかみっともない。こういう現象は文章をだらだらと書き綴った時によく起こり、逆に一気呵成に書きなぐった時には少なくなる、という訳でもないらしい。
 本当にいいたかったのは、自分の文章は調子に乗ると、分かりにくくなってネットスラングでいうところの「日本語でおk」という状態になりかねない危険を常にはらんでいること(この「こと」をさっきまで「わけ」にしていたのが、さっきの段落で述べた係り結びの破綻の具体例だ)である。翻訳書ばっかり読むとこうなるんだ、きっと。

『魔の山』を読んでいて気がついたのだが、村上春樹の『ノルウェイの森』の中で、阿美寮とかそんな名前の京都の山の中にある一種の共同生活所で、主人公ワタナベノボルが直子になんでこんなところでこんな物を読むのか云々という趣旨のことを言われる場面があるのだが、よくよく考えれば『魔の山』の舞台になっているのはまさにサナトリウムなのである。これは彼の仕掛けたある種の悪い冗談、読書人にだけ分かるような一種の戯れや作者からの呼びかけなのにちがいない。それとも、直子とノボルの両方がそれを読んでいるという前提の話なのか。何にせよ、人が悪い冗談だ。とにかく『ノルウェイの森』はただの甘ったるい恋愛小説なんかではないようである。
 春樹にはこういった類いのことをやる癖があるようで、『海辺のカフカ』で顕著な様々な文学作や思想/哲学の広範な知識や、『風の歌を聴け』以来の洋楽への言及は彼の作品に独特の味わいを与えている。物語としての完成度が高いくせに、それ以上に作品の奥行き自体を楽しむことができるのである。また『風の歌を聴け』の悪名高い、デレク・ハートフィールドという虚構は、アメリカのパルプ雑誌の歴史を理解していれば相当のリアリティがある。彼の経歴はH・P・ラヴクラフトとロバート・E・ハワード(野蛮人コナンと冒険児ウォルドの類似に注意!)のごった煮のようである。インテリでありながらもインテリ特有の鼻持ちならないスノビズムがほとんど感じられず、かつハワイのマラソンを走破したような体力の持ち主である彼は、相当優れた人間であるはずだ(インテリにしばしば見られるあの独特の嫌みったらしさは、肉体面の劣等感かくるのか知らん?)。彼を超える人間は、現代にはまれである。

『魔の山』はいかにもドイツ文学的な雰囲気があって好きだ。知識に餓えた青年がいたりとか、話が宇宙的に拡大してそこに生命の展開を(古代ギリシアの哲学者のように)望んでみたりするところがそうだ。あとは、メフィストフェレス的(ああそうだ、まさにこいつは『ファウスト』の後継者だよ! ワルプルギスの夜だってさ!)なセテムブリーニの台詞中に『アジア的停滞』とか『ヨーロッパ的進歩』とかいう、現代で口にしよう物なら市中引きずり回しの上さらし首にでもされそうなのがあるが、この傲慢さと自尊心は裏腹なのだなあと思うと、奇妙で妖艶な魅力を持った言葉となって目の前に立ち表れて来る。『アジア的官僚主義』とか『ヨーロッパ的民主主義』とか、これほど魅力的な言葉だからこそ、徹底批判せねばならないのだ、ああ。(そういえば熱出して倒れていた時に出てきた夢が、インドとヨーロッパがイスラム文化圏を挟み撃ちにした最終戦争を起こすという物であったが、こいつはどう考えても、黎明期の言語学に影響を与え、サイードが糾弾したアーリア人とセム人に世界を塗り分けた発想そのものじゃないか、まったく。こう考えれば神智学の第五根本人種云々の世界観もまた別の視点から興味深く観察されることになる。閑話休題)
 というかあれだろ、ジョルジュ・バタイユは『魔の山』で展開される死生観に影響されているんじゃないのか? こいつの上巻が無事に今日中に読み終わるかどうか、見物である。

 今日(多分慈悲で)第二段階の「みきわめ」に受かった。大体僕の脳味噌は一カ所に固執しては別のところに移動するという風に働くようにできていて、あまり全体に注意を払うなんて言うことには向いていないのだ。やれやれ。できれば紀元二千九年になる前には免許を取ってしまいたい物であるな。で、その後横浜の繁華街やジョイナスをうろついた。探していた本がEISHOUDOUにあったが、あそこのサブカル本の充実っぷりは、ヴィレッジュヴァンガードと良い勝負じゃないのかと思った。ところで、ナショナルジオグラフィックの英語版の入手が困難との由、けっ。

 今日レポートを仕上げにゃらなんな、とおもって資料を探しにいったら留学生の青年にあって英語で一言二子と話したが、それだけで日本語の読解能力がしばらく(十五分くらい?)落ちて笑った。なんじゃこりゃ。というか彼は地味にトリリンガルだよな、うむ。

 あまり関係のない話。キリスト教で、イエス・キリストがある時は三十代の男として、またある時は幼子として表れるのは、何とはなしに興味深い。両立するはずの無い属性を兼ね備える、この図像学。エジプトでホルスのある時は用事であることを思わせるし、インドの神々のアヴァターラをも連想させるが、これはちょっとした妄想。しかし十二歳から三十くらいまでの伝記が丸々抜けたままなのは、この時間的欠落を利用せいて、幼児と青年のイメージを両立させるのに役立っているとしたら? そこに父なる神の老人のイメージを加え、聖霊を加えれば、あらゆる世代にとっての年齢を超えた導き手の姿が浮かんで……こないかね? ユング読みたいな、おい。

 昨日妹に配られて母を経由してもらった秋山仁の自伝、ヴァイタルすぎて吹いた。結局いろいろと面倒くさくなったからと、三割は自分でこしらえ上げた(七割くらいは天然物で残りは養殖物です)トラウマに逃げて、絶対恐怖領域を最大限に展開したり、他人に敵意を投影してみても、また自分にど素人の精神分析を施してみたとことで、解決にはならんのだよな、似非精神分析は面白いけれど。例えば、フロイトともラカン(注意、未読である)ともつかない理論をこしらえ上げて、性別の違う兄弟は両親という原初のカップルの再現であるがゆえに、幼年期には兄妹/姉弟は互いに執着するという理論を打ち立てたりして遊んでみたりするわけで。しかし、そろそろ文系方面にきちんとした師を見つけないと、大脳皮質に発生した腫瘍状の似非人文科学の象牙の塔が、爆発的に隆起して頭蓋骨をたたき割るぞ? というか、卑屈な自己認識をつぶす。夜中に寝ていると降って来る、自分の人生の成果は無だと叫ぶ、掛け値無しの零であると叫ぶあの声は誰だ? (もちろん、「誰」というのは比喩的な話で、実際に声がするのではないよ☆) 

 そういやあ、おととい木星と宵の明星と三日月の合を肉眼でちょっと観測したんだが、月が真っ赤であった。なかなかに素敵で、熱に浮かされた私にどんな効果を及ぼしたかは不明。それと、妹の合格が決まりました。心配性なお兄ちゃんも胸のつかえが取れましたとさ。

 れす。
kiti氏
>まあ、君しかいないと思ってはいたけれどねw 君の映画や文学の趣味の良さは、良き文学部の資質だと思うわ、うん。本郷にきたら遊びにいきます☆

>あるれん氏&はろげん氏
 高校時代の友人にはかなりの部分見透かされていて正直にいって驚いている。諸兄の人間観察力は、私に最も欠落している才覚であり、またその補完の緊急性の優先度が極めて高い問題である。なんてこったい。
 ともかく今回の件についてはありがとう、と良いたい。いずれまた、互いに傾向の近い人間同士なので、何かあったら互いに。 

大二病の定義ー。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/大二病
任意に抜粋ー。


嫌韓どころかチベットの現状を知り嫌中になる。その結果ネット右翼となり空気が読めなくなる
 それはない。
 むしろ、世界情勢の認識はより現実に即するようになってきたし、対中国と対韓国に対する姿勢を一緒くたにするのが暴論だということを感じるほどにのセンシビリティくらいはある積もりだ。文化的に見て、また各国のたどった歴史を見ると、これほど興味深い地域は世界的にも珍しいのではあるまいか。簡体字にはよくノートではお世話になってます。ハングルは自分用メモでエルフ文字とともによくお世話になってますw
 しかし東アジアを論じるのには国家の枠にとらわれず、最低でもモンゴルとチベットと東トルキスタンと東南アジアを島嶼部まで含んだ、またインドからの影響も含んだ視点が必要なんだぜ? しかしなんでこれだけ長いんだ?

 追記。ダライ・ラマが英語で発現する効果として、「つたないながらも西洋の言語で「圧政者/悪」からの助けを求める民衆の代表」という印象を強める、つまり中華人民共和国の官僚を「バルバロイ=訳のわからぬ言葉をしゃべるものども」に位置づける意味があるんじゃないのかね。うまくすれば西洋の中国恐怖症と結びつけられるし。ギリシア以来の西欧のメンタリティとして。そんなこともちょっと前に思ったのよ。うわあ、炎上フラグ。

美術館に行ったことをmixiの日記に書いたりする
 文化人(笑)を気取るのは文学青年(笑)の特権です><

いい年こいてクリームとか砂糖を入れたら負けだと感じるようになる。
 これは昔からだ。コーヒーに入れるのは純粋な牛乳のみ、低脂肪は許可する。だってクリームは得体が知れないし、砂糖を入れるくらいなら、同じ甘みを別の菓子で摂取する方を選ぶさ。味覚にバラエティが出るからな。

レポートを書くという名目でドリンクバーひとつ頼み、ファミレスに長居する。
 スターバックスも似たような物かね?

居酒屋で最初のオーダーがカシスオレンジ
 いいえ、ギネスの黒ビールです

本棚にユリイカ、ムー、コミックビームとかのサブカル雑誌を一通りそろえる。
 文学研究会の部室(@駒場)で、たまたま『ユリイカ』が置いてあったので、読んだ。ピカソ・ペドフィリア説が載っていた。彼を宮崎駿とあずまひでおの系譜に位置づけていてユニークでした。ポニョみたいな少女のグロテスクな変形、とかそんなのお話。前読んだ『軌道旅団八福神』も『コミックビーム』だな、おい。『ムー』? そんな物は表紙を見ただけで内容は補完できるからなw そんなことよりもオカルト的素行の元となった、今は放棄された学問上の仮説を研究する方が、遥かに有意義で興味深いよ(末期
 確かに下北沢にこそ行かないが、メンタリティとしては近い物がある。

 サブカル深化型かね? ヴィレッジュヴァンガード行ってるくらいだし。メジャーな物を根拠も無く馬鹿にするし。

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